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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)5093号 判決

原告

藤井園子

右原告訴訟代理人弁護士

岡村親宜

望月浩一郎

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

有賀東洋男

寺地弘重

日向紀英

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二〇〇〇万円及びこれに対し昭和五五年一二月一三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、次の事故(以下たんに「本件事故」という)にあつた。

(一) 日時 昭和五五年一二月一二日午後零時二五分頃

(二) 場所 東京都千代田区霞ケ関大蔵省第一食堂食器返却口前

(三) 態様 原告は、経済企画庁調査局統計課に勤務している職員であるが、右日時の午後零時五分頃、統計課を出て、隣の大蔵省第一食堂に同零時八分頃到着し、同食堂で食事を終り、同零時二五分頃食器が乗つた盆を同食堂のカウンターに返却したところ、同所付近の床が、チャンポン麺の汁様のものでぬるぬるした状態になつており、原告はすべつて転倒し、左記のとおりの加療を要する左膝外側半月板損傷等の負傷をしたものである。

治療経過

(1) 昭55.12.12〜56.2.8

国家公務員共済組合虎の門病院通院治療

(2) 昭56.2.9〜56.2.15

日本専売公社東京病院通院治療

(3) 昭56.2.16〜56.3.27

右同病院入院治療

(4) 昭56.3.28〜57.1.3

右同病院通院治療

(5) 昭57.1.4〜57.1.24

国家公務員共済組合虎の門病院通院治療

(6) 昭57.1.25〜57.2.10

右同病院入院治療

(7) 昭57.2.11〜現在

右同病院通院治療

2  被告の責任

被告は、原告に対し、次のいずれかの理由により損害賠償責任を負う。

(一)(1) 原告が本件事故にあつた大蔵省第一食堂前廊下は公の営造物であり、被告は、本来、職員などが安全に通行できるに適した状態に設置管理しなければならない。

(2) 特に、原告が本件事故にあつた部分の床は、食器返却口でもあり、食事の残汁やお茶などがこぼれると滑つて転倒する危険が大きかつたのであるから、本来職員などが安全に通行ができ、かつ、安全に食器の返却ができるように設置管理しなければならない。

(3) 右の設置管理義務は具体的には左記のとおりである。

① 食器の返却の際に、廊下に残汁などがこぼれることがないように、食器移動には盆を使うようにする義務(現在はすべて盆を使用しているが、本件事故当時は麺類には盆がついていなかつた)。

② 食器返却カウンターの上から残汁などがこぼれることがないような物的設備及び残汁の入つた食器が落ちることがないように物的設備を食器返却カウンターに備える義務。

③ 残汁などがこぼれても、転倒することがないように、床面を滑らない構造とし、滑つて転倒する可能性がある構造の床の場合は滑り止めの敷物を敷く義務。

④ 右①ないし③の物的設備を十分に整備する事が出来ないときは、残汁などがこぼれた場合には、直ちに拭き取れるよう、拭き取り道具及び人員を配置し(もしくは食堂経営者に配置させ)、同人らがこれを直ちに行うよう教育する(もしくは食堂経営者に教育させる)義務。

(4) しかるに、被告は、本件事故発生当時は、右設置管理義務を全て怠り、麺類には盆を使わず食器返却カウンターには残汁などがこぼれないようにする設備及び残汁の入つた食器が落ちることがないような物的設備をいずれも備えず、食器返却口の前部分の床は建設当初からのもつとも滑りやすい構造の人造石研ぎ出し(一三五センチメートル×三七五センチメートル)のまま放置した上、滑り止めの敷き物も敷かず、さらに残汁がこぼれてもこれを直ちに拭き取るための、拭き取り道具及び人員を配置しておらず(食堂経営者に配置させておらず)、かつ、直ちに残汁などを拭き取るよう教育していなかつた。

このため、原告が和食を食べ、両手で盆をもつて食器返却口に向かつたところ、その前に食器返却口付近では食器が落ちたため、人造石の研ぎ出し部分にチャンポン麺のような残汁がこぼれ、人がこの上を通過した場合滑つて転倒する危険な状態となつていたが、これに気づいた食堂従業員も直ちにこれを拭き取ることなく放置したために、原告が盆を食器返却カウンターに置いて振り返つたとたん右部分に足を踏み入れて転倒し、本件事故が発生したものである。

従つて、公の営造物である大蔵省第一食堂前廊下部分にはその設置管理に瑕疵があつたものというべく、被告は、国家賠償法二条一項に基づき損害賠償の責任がある。

(二) また、右(3)項の①ないし④の義務は、被告もしくは被告の右廊下の管理者が条理上はらうべき注意義務というべきところ、被告は右義務を怠り、また管理者たる大蔵大臣官房会計課長は大蔵省本庁舎の管理権に基づき、本件転倒場所を使用している訴外大蔵省共済組合をして、本件転倒場所の安全を確保するため、右①ないし④の処置をとらせる条理上の義務を負つていたのに、これを怠り、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条もしくは、国家賠償法一条一項(仮に同法が適用ないとすれば民法七一五条一項)に基づき被告は損害賠償の責任を負う。

3  原告の損害

原告は、本件事故により次の損害をこうむつた。

(一) 定年退職までの逸失利益(金四七三万七四九〇円)

(1) 原告は、本件事故のため、本件事故日より昭和五七年一二月一六日に復職するまでの間相当日数の病休を余儀なくされた。

(2) 原告は右病休のため、昭和五六年六月二二日以降昭和五七年一二月一五日までの間の本俸及び調整手当につき、別表(1)のとおりそれぞれ金二七八万七〇六〇円、金二三万六三六七円、小計金三〇二万三四二七円の損害をこうむつた。

(3) また、原告は、右病休のため、昭和五六年六月一五日以降昭和五八年六月一五日までの間の期末手当及び勤務手当につき、別表(2)のとおりそれぞれ金九五万八九四〇円、金七五万五一二三円、小計一七一万四〇六三円の損害をこうむつた。

(4) したがつて原告は、右(2)、(3)の計金四七三万七四九〇円の定年退職までの逸失利益による損害をこうむつたものである。

(二) 定年退職後の逸失利益(金一三三七万二〇〇〇円)

(1) 原告は、大正一一年一月二〇日生まれで、昭和一七年三月東京女子大学を卒業し、昭和二七年一月一日以降、被告の職員に採用され勤務してきたものであるが、原告は、満六二歳の昭和五九年七月一日付をもつて被告を退職した。

(2) 原告は、本件事故により、右外側半月板損傷等の負傷をし、治療を終了した後も次のような症状が残つたものである。

① 連続歩行は八〇〇メートル以下等の右膝関節傷害

② 血行傷害による左足疼痛、しびれ等で一時間以上連続して座ることができない等の神経症状

(3) 原告は、右後遺症により、軽易な労務以外の労務に服することができず、現に前記退職後は就労を希望しながらも就労できない。

(4) 原告は、本来は被告退職後平均余命年数の二分の一の期間の満七年間稼働可能であるところ、本件事故の右後遺症障害により、すくなくとも五〇%の稼働能力を失つた。

(5) 原告の定年退職後七年間の逸失利益は、原告の学歴、勤務歴等からみて、労働省労働統計調査部賃金統計課発行の「賃金センサス」第一巻第一表の企業規模計、産業計、旧大・新大卒女子労働者の賃金基礎に算定するのが相当というべきところ、昭和五七年の同表の満六二歳の年収は、次のとおり金五三二万一四〇〇円である。

X=338,800(毎月決まつて支給する給与額)×12+1,255,800(年間賞与その他特別給与額)=5,321,400

(6) したがつて、昭和五九年七月二日以降の原告の逸失利益を、右(5)の年収を基礎として新ホフマン式計算法により計算すると、次のとおり金一三三七万二〇〇〇円となる。

(三) 精神的及び非財産的損害(金一〇〇〇万円)

原告は、本件事故により、多大の精神的損害及び非財産的損害をこうむり、又生涯右損害をこうむるものであるが、少なくとも金一〇〇〇万円と金銭評価すべきである。

(四) 弁護士費用(金二〇〇万円)

原告は、右(一)ないし(三)の損害賠償請求権を有するところ、被告が任意に支払わないため、原告代理人らに本件訴の追行を委任したものであるから、金二〇〇万円に相当する弁護士費用は、本件と相当因果関係を有する損害というべきである。

4  結論

よつて、原告は被告に対し、金三〇一〇万九四九〇円の内金金二〇〇〇万円及び右金員に対し、事故の翌日である昭和五五年一二月一三日以降完済に至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をもとめる。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

(一)は昭和五二年一二月一二日までは認め、その余は不知。

(二)は認める。

(三)は「廊下がチャンポン麺の汁様のものでぬるぬるした状態になつていたため」との部分は否認し、その余は不知。昭和五五年一二月一二日の本件食堂のメニューにはチャンポン麺はなかつた。

2  請求原因2について

(一)の本件食堂が公の営造物であることは認めるが、その余は争う。

(二)は争う。

3  請求原因3について

(一)ないし(三)は不知。(四)については、訴訟委任の事実は認め、弁護士費用の額については不知。

三  被告の主張

1  本件食堂の構造

(一) 本件食堂は、昭和一五年七月に大蔵省本庁舎が建築された当時から職員食堂とされてきており、現在、食堂部分と喫茶室部分とからなり、その位置、範囲は別図(1)の緑色で囲んだ部分である。

喫茶室部分を除いた食堂部分は、別図(2)のとおりであり、通路部分(巾二七〇センチメートルで黄色で囲んだ部分)、客席ホール部分(緑色で囲んだ部分)、厨房部分(青色で囲んだ部分)及び事務室等部分(オレンジ色で囲んだ部分)からなつている。

(二) 食器返却口は、本件食堂内のほぼ中央部から南寄りのところにあり、厨房内の洗い場に直結している。食器返却口のカウンターは、床面から一一二センチメートルの高さにあり、別図(2)のL1は七〇センチメートル×三三〇センチメートル、同L2は七〇センチメートル×二九〇センチメートルの広さのステンレス張りである。

本件食堂内の床は、客席ホール部分及び通路部分とも一体となつてナラ材の寄木張りであるが、食器返却口L1の前の床は、建築当初から人造石の研ぎ出し(一三五センチメートル×三七五センチメートル)となつている。これは、この個所は、食器返却口であることから、食器から食べ残したものが落ちこぼれるなどし、床が汚れることもあるので、清掃等の便を考え、このような構造にしたものである。

2  本件食堂の管理

本件食堂は、大蔵省共済組合が、国有財産法一八条三項、一九条に基づき、本件食堂のうち厨房、事務室、更衣室、倉庫等の部分につき、共済組合が直接経営を行う本件食堂の用に供することを条件として、大蔵大臣から使用承認を得、本件食堂を運営しているものである。

ところで本件事故が発生した昭和五五年一二月一二日当時の右使用承認部分は、本件食堂のうち別図(3)のうち桃色で囲んだ部分であり、本件食堂全体ではないが、これは、本件食堂のうち客席ホール、通路等の部分については、主に食堂として使用されるものの、食堂以外の展示即売会場、サークル活動の発表の場等として使用されることがあるためである。

したがつて、食事に伴う汚れの清掃といつた食堂としての使用上の管理は、共済組合がなしているものであり、その場所的範囲は、食堂としての使用上の管理に関する限り右使用承認部分に限定されず、本件事故発生部分を含む本件食堂全体に及ぶものである。

なお、右食堂としての使用上の管理とは別に、国は本件食堂全体につき定期清掃を行つている。

3  本件食堂の利用形態について

本件食堂は、昭和三九年一月以来、セルフ・サービス形式をとつており、一般的な利用手順は次のとおりである。

(一) 別図(2)の出入口A、同B及び同Dから食堂に入つてきた者は、食券売場であるレジE1若しくは臨時食券売場E2で食券を購入する。

(二) 食券を購入した者は、洋食は別図(2)のF、和食は同G、麺類は同I又はH、定食及びカレーライスは同Jの各カウンターで、各自が食券と引換えに食事を受け取る。

(三) 食事を受け取つた者は、任意の客席ホールの食卓で食事をする(客席ホールの使用区分は厳密なものではない。)。

(四) 食事を終えた者は、使用済の食器を、各自が別図(2)の食器返却口L1及びL2のカウンターへ運ぶ。なお、食器を返却する際には、使用済のハシは、食器返却口の前に置いてあるくずもの入れ(紙袋を内蔵した容器)に捨てることとされている。

(五) 食器の返却を終えた者は、それぞれの出入口から帰る。

なお、客席ホール及び通路部分には、給茶機の点検、お茶あるいはお湯の補給、茶わんの整理、テーブル・床のふき掃除、その他の雑用に従事している者が二名配置されており、雑布、モップ等の清掃用具は別図(2)のの洗い場(冷水・温水)付近に備え付けられている。

4  原告が転倒したと思われる前後の状況

原告の転倒したと思われる前後の本件食堂の食器返却口付近の状況は、次のとおりであつた。

本件事故当時、客席ホール等で給茶機の点検、茶わんの整理、テーブルや床のふき掃除、その他の雑用に従事していた本件食堂の従業員が別図(2)のの個所で、給茶機から取りはずしてきた茶ガラを捨てる作業をしていた時、「食器が落ちた。」との声を聞き食器返却口付近に駆けつけたところ、食器は落ちておらず既に片付けられていたが、人造石の研ぎ出し部分の床が、両腕で輪を作つた位の範囲でお茶のようなもので濡れており、カウンター寄りのところに酢豚の残汁のようなものがサンダルの底の大きさ位の範囲で少し落ちていた。そして、その近く(別図(2)のの個所)に酢豚の残汁のようなものでズボンを汚した男性がいた。床の汚れは、少し注意して歩けば汚れた個所を避けて食器返却口に行ける位のものだつたため、同従業員は、床の清掃より、まず、男性のズボンの汚れをふき取つてやるのが先決であると判断し、雑布を持つてくるためにその場を離れ、別図(2)のの個所から湯でしぼつた雑布を持つて再び食器返却口付近に戻つたところ、別図(2)のの個所に立つてスカートの前をふいている女性がいた(この女性が原告ではないかと思われる)。

同従業員は別図(2)のの個所で男性のズボンの汚れをふき取つた後、すぐに別図(2)のの個所からモップをもつてきて、同女がその場にいる間に床(別図(2)のからに至る個所)の清掃をした。

以上のとおり、本件事故前後において、食器返却口付近の床の一部が、食器返却口から食器が落ちたことによつて、一時的にお茶のようなもので若干濡れていたことはあるものの、右濡れた状態は速やかに除去されたのであつて、チャンポン麺の汁でぬるぬるのすべりやすい状態になつていたこと及びそれが放置されていたことはないのである。

よつて、共済組合の本件食堂の管理に何らの瑕疵はなく、ひいては被告の本件食堂の設置・管理についても、何らの瑕疵もないというべきである。

5  原告主張の休業損害については総理府共済組合から、原告に対し、国家公務員法六六条一項、二項所定の傷病手当金合計金一八二万九八四〇円が支給されているが、右支給額相当の休業損害については填補を受けていることになるから、損害賠償を請求する権利を有していないので、原告主張の休業損害から控除されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は争う。

5  同5の事実について、国家公務員法六六条の傷病手当金合計金一八二万九八四〇円が支給されていることは認めるが、その余は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の(一)、(二)の事実は事故の発生時刻の点を除いて当事者間に争いがない。原告本人尋問の結果によれば右時刻は午後零時二五分頃であつたことを認めることができる。

右事実に、〈証拠〉によれば、請求原因1の(三)の事実を認めることができる。

二請求原因2の(一)について

原告が本件事故にあつた大蔵省第一食堂の食器返却口カウンター前の床付近(以下本件床という。)が公の営造物であることは当事者間に争いがない。

一項認定の事実及び当事者間に争いがない被告の主張1、3項の事実に、〈証拠〉を総合すると以下の事実を認めることができる。

1  本件床は人造石の研ぎ出し(一三五センチメートル×三七五センチメートル)であるが、それは食器返却口であることから、残飯類が落ちこぼれるなどして床が汚れることがあるので、清掃等の便を考えたためであること。

2  人造石の研ぎ出しは木製の床あるいはリノリューム床等と対比しても特に滑りやすい材料ということはできないこと(すべり抵抗値〇・三以上がすべらない部類と考えられているが、東京都内のビルの測定結果によれば、人造石の研ぎ出しは床掃除の程度が普通の状態ですべり抵抗値は、〇・四前後であり、さらに条件によつてはすべり抵抗値は〇・六近くにもなる)。

3  本件食堂は、別図(3)のうちの桃色部分(厨房等)について大蔵大臣から使用承認を得て、大蔵省共済組合が運営しているものであり、客席ホール、通路、本件床等については右承認部分に含まれてはいないが、食堂の運営上右承認部分と不可分なものとして右共済組合が使用し、管理しているものであること。

4  本件食堂はいわゆるセルフ・サービス形式をとつており、利用者は食事を終えた後、使用済みの食器を二つある食器返却口カウンターへ運ぶこととなつていること。

5  本件食堂には厨房における従業員の外に、本件床部分を含む客席ホール等の清掃及び給茶器の世話をする係りの従業員が通常は二名配置されていること(本件事故のあつた日にはたまたまその内一名は休みを取つていた)。

6  本件食堂内のロッカーにモップが常時置いてあり、客席ホールあるいは本件床等が食物等が落ちて汚れたときは、前記ホール係りの従業員が右モップで直ちに拭き取るよう指導されており、またそのように実行されていたこと。

7  本件事故当日午後零時二五分頃、本件食堂の厨房内からホール係りの従業員の訴外黒柳万利子に食器が落ちたとの声がかかつたため、訴外黒柳はモップを持つて本件床付近へいつたが、食器は既に片付けられており、その付近にズボンを汚した男性がいた。訴外黒柳はモップを置き、雑布を持つてきて右男性のズボンを二回ばかり拭いたところ右男性は立ち去つたため、訴外黒柳は再びモップを持つてきて本件床の汚れを拭き取つたこと。

8  そのとき本件床には酢豚の汁もしくはチャンポン麺の汁のようなぬるぬるの汁状のもの及び水様のものがこぼれていたこと。

9  訴外黒柳が食器が落ちたとの声をかけられてから右汚れを拭き取るまでの時間は約二分前後であつたこと。

10  その前後に原告は本件床で右ぬるぬるの汁状のものに滑つて転倒したこと。

以上の事実が認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

そこで本件床に国家賠償法二条一項の瑕疵があつたか否かについて判断する。

公の営造物の設置管理の瑕疵があつたか否かは、その営造物の構造、用途、場所的環境、利用情況等に照らして、通常有すべき安全性を欠いていたかどうかにより具体的に判断すべきものと解せられる。

これを本件についてみるに、右認定の1、2の事実及びすべりについては履物の種類、歩き方なども関係していること並びに本件床において従前本件事故のような転倒事故があつたことが認められないことによれば、本件床を人造石の研ぎ出しとしたこと自体が、通常有すべき安全性を欠いていたことにはならないというべきであるし、本件床に残汁等がこぼれた場合も(食堂である以上不可避的に生じる事態であり、酢豚の汁状のものがこぼれたような場合には特にすべりやすくなると考えられるが、これは人造石の研ぎ出しの床に限られる現象ではなく、他の材質の床においても同様であると考えられる。)、右5ないし9認定のとおり本件食堂には拭き取り道具及び人員が配置され、速やかに床に落ちた残汁等を除去していたことが認められるのであり、床に落ちた残汁等が除去されるまでの僅かの間については歩行者の側で少しの注意を払うことにより汚物を避けて歩くことが期待できることを合わせ考えると、本件床の設置、管理に瑕疵があつたものとは認められないものというべきである。

なお原告が請求原因2(一)(3)①、②で主張する点については、いずれも望ましいことではあろうが、そのような方法によつても、残汁がこぼれることをすべて防止することはできないし、請求原因2(一)(3)③の点をも含めて、そのような方法を取らなかつたことが直ちに通常有すべき安全性を欠いていたことにはならないものというべきである(そのような設備の備えられていないセルフサービス形式の食堂が相当多いことは公知の事実である。)。

以上によれば請求原因2(一)は理由がないというべきである。

三請求原因2(二)について

原告の主張する請求原因2(一)(3)の①、②の義務については、そのような措置をする義務が存在するか否かは検討の余地のあるところである上、そもそもそのような措置を取らなかつたことと本件事故との間の因果関係を認めるに足る証拠は無い。

また原告の主張する同③の義務について、二項の1、2で認定した事実に照らすと、本件床を人造石の研ぎ出しとしたこと、あるいはその上に滑り止めの敷物を敷かなかつたことに直ちに過失があると認定することはできないものというべきである。

さらに原告の主張する同④の義務については、二項の5、6、7で認定した事実によればそのような義務の懈怠はなかつたものというべきである。

以上によれば、被告あるいは被告の本件床の管理者の過失を前提とする請求原因2(二)はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

四そうすると原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官米里秀也)

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